風に吹かれて、生きていこう


by bo-sou-at
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お疲れ様。そして、ありがとう

2月9日(土)、立川某所にて、俺の高校時代にクラブの顧問を務めていただいた先生の還暦を祝う会を行いました。
会場の周りにやたらとベルデーのバナーフラッグがあったのが不満でしたが・・・

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画像は準備作業でバナーを貼付けてるところ。左が昔も今もクラブ最速男であるF先輩、右はクラブ一の大男で国家公務員の俺だよ!くん。

バナーは勢いだけで請け負った俺が、若き友人のDupeさんに頼んで「六本木の鮪とポン酒」と引き換え(らしい)で作ってもらったもの。
今回の会費はそのあとの二次会までで全て使ってしまった。だから鮪の費用は俺の自腹。
彼はなかなかの大食漢、結構高くつきそうで今から怖い。


今回のエントリは思い入れたっぷりの昔話です。




去年の2月23日の事。昼休みにクラブの後輩であるPalmTreeくんから俺のケータイに着信が。「今晩時間空いてませんか?」との事。これが全ての始まりでした。
その夜、PalmTreeくんと俺だよ!くんと俺は五反田で手羽先食いながら4年振りに飲みました。

クラブは昭和56年、開校3年目の某都立高校に当時2年生の俺が発起人となって作った組織で、俺が卒業後にそのOB会も作りました。当初は現役の後輩の合宿について行ったり、OB中心で毎年GWや秋に活動していましたが、それぞれに生活を抱えるようになってからは段々と衰退、最近はOB会の掲示板で細々と連絡を取り合ったり暮れに集まれる連中だけで飲み会をやる程度。メンバーも俺に近い年代に固定され、それ以降の世代はメンバーの誰一人として名前も判らず行方も知れず。俺も仕事と生活が都内や横浜などになり、クラブのホームである立川から離れるとどうしても足が遠のき、自然と疎遠になっていました。

その日彼等2人が俺に会いに来た理由は、そのちょっと前に立川近辺に生活のベースがあるコアメンバーが飲んだ際に「OB会を何とかしよう」という話になり、そのためには俺が音頭取りになるのが一番判りやすい、そこで寝たふりしてる俺を起こしに来た、というものでした(たしか)。なかには俺に「手紙を書く」と言う人もいたとか(多分酔った勢いだったんだろうけどw)。そこまで言われりゃ逃げるわけにも行かず、「何かやろうか!」という事になった次第。
そしてそのときに顧問だったM先生の話題になり、「そういえば、先生そろそろ還暦なんじゃないか?いや、間違いない。祝おうぜ!」ということで、先生の還暦をダシにしてOB会の再興を図るという不純な企画が持ち上がったわけです。
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画像は準備作業で出席者の名札に書き込みをしている一美先輩。ほぼ20年振りくらいにお会いしたけど変わってなくて嬉しかった。

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仕込みで買ったタスキを広げる後輩で3代目キャプテンのOくん。この日は一人息子の大学受験の日だったそうで、おそらく心配だったろうな。上手く行っただろうか?

そんなこんなで立ち上がった不純な動機の企画は、いつのまにやらOB会から「還暦を祝う会」に完全に軸足を移し、「記念品をどうする?」「いったいOBは何人いるんだ?消息は?」「会場をどうする?」など顔を合わせる度にあれこれと難問が現れ、それを一つ一つウヤムヤ解決し続け、当日を迎えました。
目標には届かなかったけど、それでも25人が集まり、それなりに楽しい時間が過ごせたのではないかと思います。
じつは先生には「OB会をやる」とお伝えするのみ、還暦の事は内緒にしていました。会場に着くや否やクラッカーの連打で迎えられた先生は還暦の事は頭の隅にも無かったとの事。とりあえず目論見は成功です。
記念品は還暦なので「赤いちゃんちゃんこ」にしようという声もありましたが、クラブが自転車なので「赤いレーサージャージ・パンツ・手袋」にしました。使ってくれるかなぁ?

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終了後、バナーを持って記念撮影をするM先生と俺と同世代のOGたち。左から一美先輩、Y村さん、M先生、M浦さん、コニーさん。こういう絵をまさしく「両手に花」というのだろう・・・ね、きっと、絶対

メンバーそれぞれにいろんな思いがあると思いますが、俺にとってこのクラブそしてM先生はこれまでの自分について語るとき(そんな事しないけど)絶対に外す事のできない大事な存在です。

クラブは俺が初めて世に立ち上げた組織。
「このクラブがあったから僕はこの高校を選んだんです!」とに俺に話してくれた後輩がいました(軽くこみ上げたな、あの時は)。このクラブやOB会で知り合って結婚したメンバーもいます。そしてこの世に生まれし命もあります。もしもこのクラブが無かったら彼等の人生はどうなっていただろう?あの子たちは生まれて来たのだろうか?
というわけで何人かの人生を間違いなく左右した存在を作ってしまったこと、俺は結構罪深い事をしたものだと思いつつ反面で「でも、みんなそんなに後悔してないでしょ?楽しかったでしょ?」とちょっと誇らしくも思ってみたり。今までもそしてこれからも俺の宝箱のような存在がこのクラブなのです(日頃の扱いは雑だけどね)。

そしてM先生。
1年生のとき、クラスの同好の士2名とクラブを作ろうと決めたまでは良かったけど顧問の先生をどうしよう?という話になりました。クラスの担任はハンドボール部の顧問、しかも国際審判を努めるほどの方で当然無理。他の先生方も今ひとつピンと来ないし、なにしろその存在が当時の俺にとっては余りにも敷居が高かった。そこでその年の秋、英語の先生で俺が一番声をかけやすかったM先生に授業のあとで「来年クラブを作りたいと思ってるんだけど、先生顧問やってもらえませんか?」とダメモトでオファー。その時は返事をもらえなかったけど、後日校庭で顔を合わせたときに「このあいだの話は本気?実は自分も学生時代にやっててさ・・・。本気なら引き受けてもいいよ」「ホントですか!是非お願いしまっす!」確かそんな会話があったと思います。あの時はそのあと喜びのあまりバックネットに飛び蹴りして軽く捻挫したんだけど、それもいい思い出です。
先生はおよそ10年にわたり顧問を務めていただきました。
その間、顧問の椅子に納まるだけでなく先生は自分も走るために再び自転車を買い、活動に伴走車が必要となればご自分のクルマを出してくださり、その屋根に自転車を積むためにルーフキャリアを購入したり、さらにはそのクルマを伴走用にするためにセダンから1BOXに2度も買い替えていただいたり・・・。なんて出費でしょう。とんでもない事をさせてしまいました、俺は。
はっきり言って散財です。今になってみればきっと先生も楽しんでいてくれたんだろう、と信じ込んでいないと顔向けすらできません。
これ以外にも個人的に英語の補習をやっていただいたり、卒業のときの送別会の会場にご自宅を開放していただいたり・・・その他にも今の時代なら間違いなく処罰の対象になるようなとてもここでは書けない事までいろいろあって思い出は尽きません。
間違いなく、M先生は俺の恩師なのです。

そんな俺の思いとは別に、参加者からは近況報告の際に口々に先生への感謝の言葉が続きました。
俺はといえば、マイク持った瞬間に「頭真っ白」でロクな話も出来ず仕舞い。右手にマイク、左手は腰に行ったりズボンのポケットに隠れてみたり・・・落ち着きが無い事は自分でもよく判りました。
そんな俺がその時いいたかったのがさっきつらつらと書いた事。
簡単にいえば、バナーのサブタイトルとおり、
みっちゃんお疲れ様。そして、ありがとう。
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by bo-sou-at | 2008-02-11 18:16 | 日記